最近、とある界隈でよく耳にする言葉がある。
「ジムニー女子」
なんだか可愛いラベルのようで、ちょっとしたオシャレ用語みたいになっている。
四角い小さな車の隣で、写真を撮る。
少し無骨な雰囲気と、柔らかい笑顔。
そういう“ギャップ映え”が人気で、SNSにはそれっぽい写真がたくさん並ぶ。

もちろん、その姿を否定するつもりはない。
好きな車と一緒に写真を撮るのは自由だし、楽しんだもの勝ち。
だけど——ちょっと、ほんの少しだけ、言わせてほしい。
「ジムニーって、そんな“映え道具”じゃないぞ?」
■ 1.「可愛い」だけで語るのは惜しすぎる
ジムニーって、見た目はコンパクトで可愛らしい。
だけどその中身は、もう筋金入りの頑丈さ。
無骨さの塊みたいな、山育ちの野生児みたいな車だ。
なのに、SNSで語られているのはだいたいこんな感じ。
・「四角くて可愛い」
・「写真撮ると映える」
・「アウトドア女子っぽい」
いや、分かる。分かるんだけどさ。
それ“表面の1ミリ”だから!
ジムニーは、
深い泥に突っ込んでいく覚悟とか
ガタガタ道を笑いながら走るメンタルとか
普通の車が諦める道を平然と突破する根性とか、
そういう“中身の濃さ”が本体なんだよなぁ。
見た目だけ眺めて「かわいい~」と言うのは、
すごい人を外見だけで判断してるようなもったいなさがある。

■ 2.「乗ったら分かる世界」をまだ知らない
本気で走らせると、ジムニーってめちゃくちゃ面白い。
坂道も、砂地も、雪道も、
普通の車なら一歩も前に進まなくなる場所でも、
ジムニーは“当然のように”前へ進む。
あの“走破力の快感”を知らないまま
写真だけ撮って満足してしまうのは、
めちゃくちゃ損しているとすら思う。
せっかく乗っているのに、
“ジムニーという生き物の本質”まで辿り着かずに終わるなんて惜しすぎる。
■ 3.でも、ジムニー女子を批判したいわけじゃない
とはいえ、勘違いしてほしくない。
私は決して、
「ジムニー女子はダメだ」
「流行りに乗ってるだけだ」
なんて言いたいわけじゃない。
むしろ、そういう入り方だってぜんぜんアリだと思っている。
車って“最初の入り方”なんてどうでもいい。
好きになる入口なんて、
見た目でも、友達の影響でも、
なんとなくでも、理由は何でもいい。
ただ、ひとつだけ言いたいのは——
ジムニーという車は、見た目以上に深い世界を持っている。
その魅力を知らずに終わるには、もったいなさすぎる。
ということ。
■ 4.“映える”の向こう側にこそ、本当の面白さがある
せっかくジムニーに乗るなら、
写真を撮るだけじゃなくて、
すこし道を外れてみてほしい。
舗装されていない細い道。
ちょっとした林道の入り口。
砂利の駐車場。
雨の日のぬかるみ。
どれもジムニーの得意分野だ。
そして走りながら「あっ、この車ってこういう動きするんだ」と、
少しずつ“ジムニーとの対話”が生まれていく。
そこに気づいた瞬間、
ジムニーはただの移動手段でも、
ただの映えアイテムでもなくなる。
“相棒”になる。

■ 5.最後に――ジムニー女子よ、ぜひ“その先”へ
だからこそ、言いたい。
写真を撮って終わりなんてもったいない。
乗って、走って、曲がって、揺られて、
たまには泥まみれになって、
ジムニーの本気を見てほしい。
それを一度味わったら、
“ジムニー女子”というラベルなんてどうでもよくなる。
あなたはきっと——
ただの「ジムニー乗り」になる。
それでいい。
いや、それがいい。



